「さす九」を17年間九州に暮らした視点から見る

「さす九」という九州の悪しき風習を指す言葉がちょっとずつ流行っている。僕も九州の生まれで,九州の文化には辟易したため,共感するような内容も多い。一方で,九州に住んだことも親戚もいない人が,無遠慮な批判を行っていたり,男女論の道具として使っているのを見ると嫌になる。僕は九州に馴染めなかった側の人間だが,九州に馴染めた人間は男女問わず幸せに暮らしていることを知っている。憎くても故郷ではあるし,かつての友人が多く住んでいるため,良い気持ちにはならない。そのため,「さす九」について実際に暮らしていた経験から可能な限り整理してみようと思う。ただ,僕の両親はいわゆる「さす九」の典型からは大きく外れていることや,中受をしたため,広い知見があるわけでもないことは留意して欲しい(同時に「さす九」の典型人間が多数を占めるわけではないということがこの時点で言えるだろう)。

「さす九」の正体は,ジェンダー規範が強く,閉鎖的であることの2点にあると言える。 まずジェンダー規範について語る。 強調しておきたいのは,ジェンダー規範が強いことは,男尊女卑を意味しない。そのままの通りで,男はこうあるべきで,女はこうあるべき,という規範があるのみである。ここから導かれる帰結としては,この規範通りに過ごせない人間にとっては,男女問わず苦しい土地だということだ。逆にこの規範通りに過ごせるのであれば,男でも女でもホモでもレズでも未婚でも暮らしやすいだろう。 しかし,僕の実感としては,あまりこのジェンダー規範は強くないように思う。実のところ,ジェンダー規範自体は本質ではないのかもしれない。「外から見てちゃんとしているか」が重要であるように思う。例えば,夫は妻を養うべきという規範がある(と感じている)。妻に労働をさせているということは,夫が”ちゃんと”働いていないからだ。逆に,妻が趣味で労働をする分には認められる(と思う)。逆に,妻が家事をするべきという規範を僕はあまり感じなかった。外から見えないことだからかもしれない。僕の母は専業主婦ではあったものの,病弱であったため父親が家事をすることも多かった。僕が見てきた家庭で夫が家事をするべきではないという規範は聞いたことがない。一方で,特に何の理由もなしに労働も家事もやらないことは,”ちゃんとしていない”から非難の対象になり得ると思う。しかし,これは他の土地でもそうではないだろうか? また,流石に九州の価値観だってアップデートはされていて,亭主関白のような身勝手な振る舞いが許されるわけではない。流石に妻に逃げられるし,それ自体は皆同情する上に,離婚された男は非難の対象になる。子供が3人いるにも関わらず,仕事を真面目にせず,浮気もしていた男は,ずっと行きつけの居酒屋で父親含む常連に責められていたし,離婚後はその地を離れたと聞いた。 ちなみに閉鎖的であることにも関連するのだが,九州においては「家」を重視している。そのため,”ちゃんとしている”には家を守ることが当然に含まれている。結婚しろという圧力があるわけではなく,今いる家族を守れということだ。未婚であっても,親の介護が必要になれば,介護をするか施設に預けるべきで,見殺しにするべきではないし,親を養うべきだということだ。父親ならば妻や子供を養うべきだし,妻は家庭を守るために家事をやるべきで,両親共に子供の躾はちゃんとするべき,といった感じだろうか。ジェンダー規範というよりも,家の規範が強いと言い換えた方が適切だったかもしれない。

一方で,女性の扱いが雑ではない,というわけでもないように思う。父方の親戚の集まりでは,男性陣も買い出しに参加するものの(財布だから),女性陣が料理の準備を必ずしていた。また,親戚の宴会の席においても,当たり前に祖父の席は上座だった。祖父側のテーブルの右側が男の大人組,左側が女性組で,一番離れたところに僕たち子供たちが自由に座るという感じだった。ちなみに風呂の順番は特に決まっておらず,子供同士で譲り合っていた(お風呂に入りたくないから)。 また,曽祖父が介護職員(?)にしたセクハラについても「元気ねえ☺️」くらいの反応だった記憶があるが,これも今思えばおかしい話だ。これは2012年とかの話なので,今だと流石に僕の親たちも違った反応を示すかもしれない。 進学面に関するジェンダーギャップは,僕が進学校(ここでは大学進学を目指す高校の意味で使っている)にいたこともあって,女に大学はいらないとかは聞かなかった。ただ,文理選択のジェンダーギャップは激しかった。理系クラスに属していたが,40人クラスに女性は3人だけだった。逆に文系クラスには男性が5人とかだった。当然に男は理系を選ぶものという価値観があったのかもしれない。少なくとも,文系は稼げないため男が文系を選ぶのは”ちゃんとしてない”ことなのかもしれない(僕はそう思わないが)。これは,九州の産業は工場に支えられているという事情もあるのかもしれない。ちなみに僕の母親が高校生だった頃には大学進学についてもジェンダー規範が強く働いていたらしく,母親は4年制に行きたかったらしいのに,短大に行かせられている。

大学進学や文理選択の事情については,東京と九州では産業構造が大きく異なることによる差があるので,この点については特筆したい。まず,田舎において安定した職業は,医療職,公務員,教師しか存在しない。そして,多くの者は医療職を目指す。頭が良ければ医師,良くなくても医療事務や整体師(運動部に入っていた人が多い)に就く人が多いように感じる。福岡はまた別かもしれない。東京においては,企業が多く集まるため文系職の働き口が多く,また,医療職の稼ぎがサラリーマンと大差ないことから,文系の人気も高いが,九州においては全くそうではない。事実として,僕の中退した高校では理系の方が圧倒的に人数が多かった。九州でまともに家族を養える文系職は公務員か行員しか存在しないのではないだろうか。

次に閉鎖性について語る。 九州はとにかく閉鎖的で,これが子供を苦しめる。また,上記のジェンダー規範については年々薄まっているように感じるものの,閉鎖性については,そのように感じない。今の50代くらいの親たちは,流石に男だからこうあるべきだ!みたいなことを強く言わないし,女性へのセクハラにもすごく気を遣っている(周りにまともな大人が多かったからかも)。しかし,閉鎖性については未だに根強い。これは大学進学の決定に大きく影響する。まず,東京は怖いところで行くべきではない。大阪や京都もかなり渋い顔をされ,本州であれば広島大学は歓迎される。しかし,九州内の大学に行って欲しいと積極的に言う親が多いように思う。もちろん経済的な理由から,実家から通える範囲という要請ならまだ分かるのだが,東京の大学よりも宮崎大学に通いなさいと言う親がいるから驚きだ。それも何かあった時に車で行けるからという変な理由でだ。僕の出身は長崎なのだが,長崎から宮崎に行くよりも,長崎から東京に行く方が所要時間はむしろ短い。それにも関わらず,親は東京に行かせたくないと思っている。 僕の祖母は寂しがり屋で,母含む子供達に実家の周辺に住んで欲しいとずっと言っていたらしい。また,孫もずっと欲しがっていた。僕の母がアメリカに行きたいといって奨学金を獲得してアメリカに飛び立とうと羽田空港まで行った時は,祖母が追いかけてきて腕を引っ張って阻止したというから驚きだ。 実際に,この閉鎖性のせいで進学先が長崎大学になった頭の良い友人を知っているから,本当に僕は悔しいと思っている。

ここまでの記述から分かる通り,これらの「さす九」に関与しているのは,全く男(父)だけではない。むしろ,子供にあれこれ指示を出して規範に沿わせようとし,九州の外に出させないのは,母であることも多い。実際に僕の祖母がそうであるし,他の友人の家庭でもそうだった。同時に「さす九」に適合できた人間であれば男であっても女であっても九州はとても生きやすい土地でもある。だから,「さす九」は確かにクソだが,その状況で楽しくすごいしている人たちまで糾弾しようとは全く思わない。むしろ,僕は適合できない側の人間だったから,適合できた人間に対しては羨ましさすら感じている。なぜなら,「さす九」に適合できなかったと言うことは,僕は”ちゃんとしてない”人間であり,実際にそうなのだから。

九州に住むことが苦痛である人間とは,ちゃんとできない人間もしくは,上京思考が強い人間だと思う。そういった人間はどんな手を使ってでも九州を出て欲しい。僕は九州に苦しんでいる人間については可能な限り支援をしたいと思っている。この九州という土地の苦しさは,実際に暮らしたことがあり,適合できなかった人間にしか分からない。しかし,東京が良い土地ということは意味しない。東京には東京の地獄がある。東京はいくらでもダメになれてしまう。ダメの行き着く先は,夜職だ。僕は夜職はしっかり差別している。あれがちゃんとした職業とされている価値観は全く理解できない。そこで働いている人たちを蔑むわけではない。実際に関わったことがあるから分かるが,夜職は夜職をするべき理由がある人がすれば良くて,そういった理由がない人たちがするにはあまりに残酷な職業だ。せずにすむならしなくていい。九州から出てくるのは構わないが,夜職(特に性風俗)にだけはならないで欲しい。キャバは許容するが,長期的に生計をちゃんとする算段は立てて欲しい(生活保護でも構わないから)。東京であってもちゃんとすることは重要だ。

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